TVドラマ『聖者の行進』:いかりや長介の名言|「弱い自分に苦しむことが大事」の感想文

TBSドラマ『聖者の行進』(脚本:野島 伸司)で、老いぼれ弁護士(宇野 淳市)演じたいかりや長介さんのセリフは、ネットではいかりや長介さんの名言として紹介されていることが多いですね。

誰の名言とかそういうんじゃなく、セリフの内容が素晴らしかったので、みんなと共有したいと思いました。オンタイムでテレビで見ていた人は知っているでしょうが、私のようにYouTubeのおすすめ動画で初めて知った人も多いのではないでしょうか。

10代、20代、30代の若者にはピンとこないかもしれませんが、私のようにとっくの昔に40代を迎えた人間にとっては、結構見に染みる考えさせられる名セリフです。

強くなることはないです。
弱い自分に苦しむことが大事なことなんです。

人間は元々弱い生き物なんです。
それなのに、心の苦しみから逃れようとして強くなろうとする。

強くなるということは鈍くなるということなんです。
痛みに鈍感になるということなんです。 

自分の痛みに鈍感になると、人の痛みにも鈍感になる。
自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する。

痛みに鈍感になり優しさを失う。

いいんですよ、弱いまんまで。
自分の弱さと向き合い、それを大事になさい。
人間は弱いままでいいんですよ、いつまでも…。

弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい。

今回はこのセリフから感じたこと、感想文を書いてみたい。

いかりや長介の名言|人間は弱い|「弱い自分に苦しむことが大事」の感想文

「強くなることはないです。弱い自分に苦しむことが大事なことなんです。」というセリフは、強さや逞しさばかりを追い求める社会で生きる私たちに対して、弱さを受け入れることの重要性を説いています。このセリフは、弱さを否定するのではなく、その弱さを抱きしめ、受け入れることが大切だと訴えているように感じられます。

「人間は元々弱い生き物なんです。それなのに、心の苦しみから逃れようとして強くなろうとする。」という部分では、人間が本来、弱さを持って生まれてくることを強調しています。それにもかかわらず、心の苦しみから逃れるために、自分を強くしようとする欲望があると指摘しています。人間の心は苦しみを避けることを求めるため、強さを追い求める傾向があるのかもしれません。

「強くなるということは鈍くなるということなんです。痛みに鈍感になるということなんです。」という一節は、強さを追求することが、感受性を失うことに繋がると述べています。強さを求めるあまり、自分の痛みに鈍感になることで、他人の痛みにも鈍感になり、優しさを失うことを意味しているようです。この部分は、強さと感受性の関係について深く考えさせられます。

「自分の痛みに鈍感になると、人の痛みにも鈍感になる。自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する。痛みに鈍感になり優しさを失う。」という表現は、強さに偏重することが他者への共感や優しさを奪ってしまうことを警鐘しています。自分自身の痛みに鈍感になることで、他人の苦しみを理解できなくなり、攻撃的な行動につながる可能性を指摘しています。この詩は、強さを求める一方で、人間性や優しさを失ってしまうリスクを示唆しており、自己中心的な社会に対する批判とも受け取れます。

「いいんですよ、弱いまんまで。自分の弱さと向き合い、それを大事になさい。人間は弱いままでいいんですよ、いつまでも…。」という部分では、弱さを受け入れることの重要性を再度強調しています。弱さを抱きしめ、受け入れることで、本来の自分と向き合い、成長していくことができるとしています。このセリフは、自己肯定感と自己受容の大切さを訴えていると感じられます。

「弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい。」という結びの部分では、弱い者同士が支え合い、協力し合う社会の美しさを称揚しています。強さではなく、弱さを共有し、互いに支え合っていくことで、より豊かな社会が築かれるというメッセージが込められています。

これらのセリフは、社会が追い求める強さや競争に疑問を呈し、弱さや感受性を大切にすることの重要性を訴えているように感じられます。強さに固執することで失われるものを考えさせられるセリフであり、自己成長と他者とのつながりを大切にする姿勢を持つことの意義を考えさせられます。

以上、TVドラマ『聖者の行進』:いかりや長介の名言|「弱い自分に苦しむことが大事」の感想文、という話題でした。


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