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デジタル・デトックスやる?スマホの普及がもたらせた人間関係の変化

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スマホは本当に便利だ。ニュースを見たり、調べものをしたり、ナビとして使ったり、本を読んだり。今となっては、もうできないことを見つけ出す方が難しいくらいだ。

また、スマホの性能が上がったこと、そして優れたアプリの登場により、テキストだけでなく、写真や動画など、さまざまな手段で情報交換できるようになったことで、面と向かって会わずとも、十分なコミュニケーションをとれるようになった。今となっては、スマホを持たずに外出するなんてあり得ない。片時も手元から離せない存在になっているのだ。

とはいえ、なかにはスマホを手にしたばかりに生活が窮屈になってしまったという人もいる。ケータイからスマホに持ち替えた途端、友人から「LINEやってる?」とか言われるのがウザいらしい。ネットで繋がっているという感覚がしっくりこないのだろうか。


実はスマホがなくても生きていける
スマホを自宅に置き忘れて、一日中スマホがなくても、ほんとは何の問題もない。誰かに罰金払う訳でもないし、友人や仕事関係の人間には、「昨日、自宅にスマホを忘れてね・・・」と詫びを入れれば済むこと。屁みたいなもんです。軽く生きて行ける。ほんとはね。

「デジタルデトックス*1」なんて言葉も普及して久しいけれど、本来「ツール」であるべきものに、自分自身が乗っ取られるなんてやっぱりおかしいよ。というか、多くの人は乗っ取られていることに気づいていない。

ゲームに熱中したり、ユーチューブのような動画投稿サイトをみまくったり、インスタで他人の写真を覗き見したり、ツイッターでのつぶやきを読みまくったり・・・。別に悪いことではないけど、もっとボーッとして空想にふけったり、SNSから離れてもっと音信不通になったりする時間があっても良いような気がするというか、むしろ人間には必要なことのような気もする。

現代的な生活において、ぼくたちはケータイやスマホに大きく依存している。もはやケータイやスマホなしに、普段の生活ができない程のレベルに達している。仕事上の業務連絡であったり、サークル仲間との情報のやり取りであったり、学校行事の連絡であったり、遠く離れた両親の安否確認であったり、もう書き出したら切りがない。

日常生活に追われ、家族や友人との行き来が難しくなっている今日。ケータイやスマホなどのハイテク機器は、われわれ人間が人間関係を維持する上で、この上ないツールと言える。がしかし、これらハイテク機器の普及に並行して、人間本来の絆が希薄化してしまったような気がしてならない。

友人といる時、彼氏や彼女といる時、家族といる時、どんな場面においてもケータイやスマホは、他人を寄せ付けないある種の縄張りを一瞬に作り上げる。そばにいる人もケータイやスマホを操作している人に対して、プライベートを邪魔しちゃいけないと考え、黙認してしまう傾向にあるのだ。

こういった状況が今から5年、10年と続けば、今後ますます人々の結びつきや社会関係が低下し、個人の孤立化が進んでしまうのではないか。ちなみに、今は亡きスティーブ・ジョブズは、生前、彼の子供達にiPadやiPhoneの利用を制限させていたらしい。これはiPadやiPhoneの長時間の利用は子供達に悪影響を及ぼすことに気付いていたからだろう。

また、スマホの出現により、インターネットの使用時間が伸びるのと正比例して増えているのが、インターネット依存症。うつ、不安、情緒不安定、集中力の欠如、無気力、不眠などが主な症状として挙げられるが、診断が難しいため、確定的な数値ではないが、近年米国やヨーロッパ各国で人口に占める依存症者の割合は約38%ともいわれている。ものすごい高い数字だ。

ということで、今回はスマホの普及がもたらせた人間関係の変化について、自分なりに少しまとめてみたいと思う(若い人が読むと、「このおっさん何言ってんだ」と思うかもしれない)


スマホの普及がもたらせた人間関係の変化

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交友関係におよぼした影響

これほどまでに人間の日常生活に溶け込んだ、文明の利器といえるケータイとスマホ。もはや手放すことはできないが、これら通信機器の普及により交友関係の希薄化が加速的に進んでしまった。

交友関係が実際に目を合わせるリアルな関係から、いつの間にかインターネット繋がりの希薄な関係へと変化していったのだ。

さまざまなアプリが開発され、本来あるべき交友関係は、個人間のEメールやSMSの送受信でほとんど満たされてしまっている。また、メールを送ったが返信がない、SMSに書き込んだのに反応がないなど、実際に会えば抱くことのない不安に襲われたりするようになった。

がしかし、ケータイやスマホなどのハイテク機器の普及は、現代社会において悪影響ばかりではない。

現代の多様化する人間関係において、ケータイやスマホは、新しいコミュニケーションスタイルを確立した。たとえば、交友関係においては、「広く・狭く」、「深く・浅く」といったON、OFFが端的にはっきりした、かつバランスのよい付き合い方を可能にしてくれたのだ。

家族関係におよぼした影響

ケータイやスマホなどの通信機器がもたらす最も重要な問題は、それが家族関係にも及んでいることだ。

先週末、久しぶりに家族とファミレスに行って驚いたことがあった。当日は週末ということもあって多くの家族づれで賑わっていたが、食事中であるにもかかわらず、スマホをテーブルに置いてポチポチいじってる人の多いこと。子供がスマホをいじってても何も言わない親もいれば、親自身がスマホを見ながらニヤニヤ。

インターネットを介して繋がっている人の方が、目の前の家族より大切なんだろうか。または目の前の家族より大切な情報がネット上に転がっているのだろうか。

家族と一緒にいる時くらいスマホから少し距離を置けばいいのに。思いきって電源を切って、誰にも邪魔されず家族と向き合って時間を共有するのだ。

僕は家族と一緒にいる時はスマホの電源を切ってる。妻もそうだ。もしかすると仕事の電話が入ってくるかもしれないが、あとで留守番電話を聞いてかけ直せばいいだけ。「バッテリー切れてた」と一言いえば事が済む。

Facebook、LINE、Instagram、Twitterなんて一人でいる時とか友人と一緒の時に楽しめばいい。スマホに縛られず、家族との今その瞬間をもっと大切にすべきではないだろうか。

高度経済成長期(1970年前後)の日本では食事中のテレビは御法度だった。しかし今ではほどんどの家で食事中にテレビがついてる。同じように食事中にケータイやスマホをいじることが当たり前の時代になってしまうのか。

ぼくが子供の頃は兄弟や親との会話に夢中になって「静かに食べなさい」と、よく叱られたものだ。ケータイやスマホのない昭和、今となっては人間味のある良い時代だったとしみじみ思う。

おわりに
現代社会に生きる我々は、ケータイやスマホに必要以上にのめり込まないという、自分の意志や感情、欲望をコントロールする自制心が要求される時代に突入しているといえる。スマホもおもしろいが、良いこと悪いこと全部ひっくるめて、人と面と向かっての付き合はもっとおもろい。何かしら肌で感じる温もりがある。そう感じるのは僕だけだろうか。

*1:インターネットに接続できる環境(いわゆるデジタル環境)から敢えて距離を置き、インターネットに依存しがちな、あるいはネット環境に振り回されがちな生活の在り方から脱すること。また、デジタルデトックスは「ネット断ち」「スマホ断ち」とも呼ばれる。事業者がIT依存から距離を置く取り組みは「IT断食」と呼ばれることもある。


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